1Q84~~★村上春樹~~芯にあるもの残るもの

いまさらですが・・・ようやく村上春樹の『1Q84』、読み終えました。
この夏休みの最重要課題!でしたぁ(^^)

時間の流れが私に合わさっていく場所。
躰と心のゆるみを受け入れる時間。
日常のつづきなのに、日常とかけ離れた空間。
帰省して。ふるさとに・・・そんなことを感じました。


この本の中にも、時間の流れのことがさらりと書かれていましたね。
ゆるくなる時間。
その中にいる人だけが感じる。
誰にも均一に通り過ぎる時間を、人は後から記憶としてうまく長さや重さを調整していく、と。
私から思うと、その均一な流れの最中にいても、気持ち的には長さや重さがじゅうぶん変わっていたりする。


青豆と天吾、そして「ふかえり」が主な登場人物です。
10歳の時の青豆と天吾の記憶を“陰の軸”のようにして話は進んでいきます。
ふかえりの物語に出会ったことによって、天吾は才能を開花させ、自分でも気づかぬうちにねじれたところに入っていきます。
青豆と天吾というかけ離れたところにいる二人を、二人の記憶の繋がりが引きよせていきます。
月がふたつ見える世界。へと。
そこが今いる(今までいた?)世界の裏側であれ、陰の部分であれ、
そこにも時間は同じく流れているし、死は死となる場所。

 爪の形
   好むと好まざるとにかかわらず。
   誰かが勝手にきめて、私はそれを黙って受領したに過ぎない。

そんな書き方で、「自分」という存在の危うさ、束の間であること、を表現して。

天吾の空白を満たすべくして、現れたふかえり。
ふかえりの書く物語に出てくる「空気さなぎ」
空気さなぎなるものは、何かを生み出すもの。
中から出てくるものが、悪しきモノ。ばかりでないことが、ちょっと気持ちをほっとさせます。
これは最後の方にわかるかな(^^)

ねこのまちの話。これも結構大事な役目でしょうね。
   出口はふさがれてしまった。

『記憶』
生まれてからずっと積み上げられていく記憶。
忘れたモノも消したつもりのモノも美しくなったモノも形を変えたモノも。
それを受け入れて、生きていくことが、
それを上手くつかって、生きていくことが、
大事なのだと、それしか道はないのだから、と。
そんなふうなメッセージ(のようなもの)を感じました。

心の『芯』にあるもの。
世界がどんなに変わろうとも、
それさえしっかりもち続けていられたら、なんとかなるものだと。
いろんなものを捨てていっても、最後に残るものがきっとあって、それさえ見落とさなければ、なんとかなるものだと。



『愛』みたいですよ、この本のなかでは(^^)
同感!!(*^。^*)

そして、すべては自分で見つけること。


一気読みしました。
青豆の潔さとプロフェッショナルなところが好きです。
もちろん、人間的なところも!
頭が疲れました。。。ね。
またしばらく新しい村上作品を読めないかと思うと寂しいです。

さて、
「リトル・ピープル」なるものが出てきますが。
ずっと七人の小人のイメージがついて離れません。。。^^;

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック